アリゾナで犬の販売の社会問題を是正する法案が可決されたらしい。
ペットの命が尊重される結果はよかったのだが、よく見ると社会の欺瞞がうっすらとみえる。
この度、アメリカのアリゾナ州フェニックスで、「ペットショップで売られるすべての犬は、シェルターなどの保護施設にいる犬でなくてはならない」という法律が可決されました。
これは、Puppy millと呼ばれる、営利を目的として犬などの愛玩動物を劣悪な環境で大量に繁殖させるブリーダーによって、つくりだされる「命」を減らすため。
どうもこの法律では、対象となるのは犬限定みたいだ。
記事ではペットの命のためとあるが、犬限定となると一番の理由としては保護シェルターの満員防止となるだろう。
犬は流通の数が一番多いから。
つまり、差し迫った理由がないと、社会としてペットの命を守るまでの名目には至らないのが現実だ。
問題と分かっていても簡単に是正できないのが、社会の構造として確かにある。
そこに関わるマーケットが大きければ大きいほど、多くの利権や思惑が複雑に絡みすぎて簡単なことが簡単にはできない。
日本のペット事情
日本でも、ペットの命はまだまだ軽々しく扱われている。
これは、ペット業界の誰もが認識しているけど、変わらない闇の部分だろう。
飼う方も、外飼いで野放しなんてのも、根強くいるし、リテラシーも低い。
そんな中で、根本からペットの命を尊重するにはアリゾナ州のように法で強制するしかなくて、飼うのを免許制になんて話もあるが、そういうのがぜんぜん実行されない。
じゃあってことで、民間でも、ペットの流通をWEBでサービス化することで改善できる部分もあるわけだけど、今のところそういうWEBサービスは聞いたことがない。
スポンサーや寄付がないとビジネスとしては実際難しいし、やっぱり、金がないところに人は集まらない。
やるとしたらNPO法人だろうか。本当はWEBとPRに長けた企業がやるのが一番いいんだけど。
正論だけじゃダメ
世の中、正論だけじゃ犬だって救えない。
人を動かすためには、建前がいる。そのためには嘘も方便、それは臨機応変。
状況を冷静に判断して、建前を積み重ねて利用しないといけない。
当たり前のことを当たり前にやっていたら、当たり前の結果にしかならない。どこかに当たり前でないエキセントリックなところがないと、他より抜きん出ることはできない。
と、大前研一さんも言っている。
ともあれ、海の向こうで犬たちの痛みが減ることは嬉しいニュースなことは間違いないから、アリゾナ州フェニックスに”あっぱれ”を。